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憲兵特種勤務中隊

安平部隊(夜鷹部隊)

              

(パッチ写真提供:予備役下士官196期のwenjen、MP269Cの鑑峰)

 

M.P.S.S.C

1977年に国防部の考案により発足し、1978年に創設され、参謀本部の直轄部隊であるが、1987年なかばから「憲兵特別勤務中隊」の出動命令権は国防部の連三 (作戦参謀次長室)に変更された。初代の隊員は憲兵常備下士官29期生および憲兵予備下士官129期生から選抜され、さらに翌年の予備下士官134期生を加え、 百人以上の中隊編制となった。 1979年の「靖安企画案」に「陸軍特殊作戦総隊」 が憲兵隊に編入され、一部の兵力は「憲兵特別勤務中隊」に所属されることにより、総員は430名にのぼっている。79年12月に上記の人員のうち73名にしぼり、他の隊員は一般憲兵隊に移籍された。


その任務については、人質救出や対テロ戦闘など特殊の秘密任務を行うことである。成立してから20数年間に警護任務、対ハイジャック作戦、国内騒乱制圧、テロ対策および外国の官邸要人警備や特殊作戦部隊の代行訓練を支援する実績が知らされている。現在はアジア地域において数少ない特殊部隊養成と他国の代行訓練の能力を有する部隊である。


創設以来の極秘任務を遂行した記録は既に80数回にのぼる。1980年には警政署維安特勤隊(台湾警察庁治安維持特殊勤務隊,SWAT)の第1期生の養成も代行訓練することとなり、現存する国内の警察特殊部隊(SWAT)の元祖とも言える。

有事の際に人質(政府首脳要人、外賓、大使等)を飛行機や船舶から救出し、拉致対策や囚人脱走対策などが基本任務であるが、外国からの武装ゲリラ入国、武器不正輸入、官邸潜伏、テロ、暗殺、麻薬密入などに対応できるような体制が整っている。過去に突撃、襲撃、騒乱、暴動などの鎮圧を実行し、なかでも1987 年に台東の岩湾軍事刑務所の暴動制圧事件が有名である。


  2004年9月の台北市万安27号演習(年度の軍/警察/消防の公安統合訓練)に初めて憲兵特勤隊がマスコミに公開され、間近で見られる装備がスワットマニアの注目を浴びた。防弾ゴーグル、ハンドガンマグパウチ、防護パッド、ユニフォームやタクティカルベストなどの個人装備、そのほとんどは国産の製品である。


  個人通信の方には、胸ポケットのBM6・PTT、VOICEDUCERの骨導音性イヤホンなど非民間用の日本TEMCO製無線装備が導入されている。


狙撃用小銃にはPSG-1以外に、2005年に購入した9挺のスイスSIG社のSSG-3000その性能には憲兵司令部の希望通りに合わなくて返品された。結局採用したのはM24(アメリカ/レミントン)となっている。

  
2005年購入装備
M4カービン × 105 TC-3000ヘルメット × 115
電磁波探査装置 × 4 暗視双眼鏡 × 8
SSG3000狙撃銃 × 9 グロック17× 57
散弾銃 × 9 Inmarsat衛星電話 × 4

 

憲兵兵器連(憲兵隊重火器中隊)

 

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(パッチ写真提供:予備役下士官193期のHua、196期のwenjen、寧安、jjspeaking)

憲兵兵器連(憲兵隊重火器中隊)とは1981年4月から各憲兵指揮部(憲兵隊司令部)に続々編成され、 歩兵部隊編制に近い憲兵戦闘部隊が市内戦を遂行するときの重火力支援を提供する戦術部隊である。主に対戦車火器 (50口径重機関銃60口径81口径の迫撃砲106無反動砲など)が配備されている。  
 
憲兵隊重火器中隊は一般的な憲兵隊勤務を持たない。平日から日々に歩兵戦闘訓練、憲兵隊格闘技、白兵戦闘訓練、 小銃射撃、各種砲の操作や射撃などの訓練が実施されている。他の憲兵部隊の再教育・訓練や演習には中心的役割を担当し、 時には政府首脳警備の支援任務にも参加する。  
 

1986年 に郝柏村参 謀総長の就任期間中、彼が各陸軍各師団(及び独立連隊)に「精誠部隊(精鋭部隊)」を編成し国軍運動大会(体力と戦闘技能の競技) を参加させるように指示した。各憲兵隊司令部それぞれの憲兵兵器連も、その精誠部隊に該当し陸軍歩兵学校の運動大会へ送り出して、戦闘力や技能の検閲を受けた。 各憲兵兵器連における国軍329体戦(体力と戦闘技能)競技大会の結果はそれぞれの憲兵隊司令部の実戦力として評価されている。  
 
1990年半ば、憲兵兵器連は「忠貞連(忠貞中隊)」と改称され、ハイジャック対策部隊として再編成された。それぞれ忠貞中隊の隷下する第1小隊 (突撃小隊または特勤小隊と称し)を特殊急襲班(Special Assault Team, SAT)とし、 狭窄空間における至近射撃や格闘技の特訓を受けた忠貞中隊の精鋭中の精鋭といわれている。

 

憲兵突撃小隊・忠貞中隊特勤小隊

1972年にパレスチナ解放人民戦線や日本赤軍による一連のハイジャック事件や空港内での無差別乱射事件の影響を受け、憲兵隊の「第二〇一、二〇二指揮部」がそれぞれ2個、その他の指揮部が各ひとつの「憲兵反突撃小隊(憲兵テロ対策部隊)」を設立した。

1990年半ば、各「憲兵指揮部(憲兵隊司令部)」の「憲兵反突撃小隊」はそれぞれの憲兵重火器中隊の第1小隊として改編され、憲兵重火器中隊の名前も「忠貞連(忠貞中隊)」に改称された。忠貞中隊の隷下する突撃小隊(今度は特勤小隊と称し)は依然に特殊急襲班(Special Assault Team, SAT)とされ、狭窄空間における至近射撃や格闘技の特訓を受けた忠貞中隊の精鋭中の精鋭といわれている。

残念ながら近年には軍事予算の縮減により続々と解散させられている。    (情報補足:Lonelywolf)
1989年に台北市内の武装脱走兵をだ捕するため出動した憲兵突撃小隊。
(テレビニュースの画像より)
1994年に人質救出訓練を行なっている憲兵特勤小隊。

 
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