【注1】泰源事件:国民党政権は刑務所の暴動事件と認定したが、民間には台湾独立武装革命と考えた。事件後、参加者はもちろん、 軍事裁判にかけられた職務過失の刑務所警備中隊に台湾出身者20数人が死刑、残りは無期懲役とされる事件であった。 (Wikipediaにより)
1987年11月30日夜明け,憲兵部隊が隊長勞O生中校(中佐)の指揮下で岩湾行仁刑務所を突入し,一週間に続いた刑務所暴動を鎮圧した。 (写真は岩湾事件検証ビデオによるもの) 1987年12月1日午前、憲兵鎮圧部隊の突入が破れ、大勢の受刑者は大門から脱走する際に、緑島指揮部憲兵隊中隊長趙〇雄上尉(大尉) が発砲命令を下って、数十名の脱走者を命中し制圧した。 (写真は1987年12月18日に撮影したもので、当時憲兵第二〇五指揮部がひと憲兵中隊を増援していた。この刑務所はのちに撤去された。) 緑島指揮部第十二大隊
【注2】小琉球集団脱走事件:1975年に小琉球少年感化院の少年受刑者が祭り行事を利用し集団脱走したが、当時の総隊長が島の守備隊である海兵隊に発砲命令を下り、 多数の死傷者を生じた事件であった。 事件後に集団射殺現場は幽霊名所となり、地元住民による鎮魂祭が毎年行なわれていたという。なお、 今この場所には漁村休閑運動公園となっている。