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動員戡乱(軍事戒厳令)時期における台湾警備総司令部の憲兵隊運用概況

台湾憲兵OB会

マーク ※警備総部のマークに三つの輪とは「警備、保安、動員」を意味している。※ 台湾警備総司令部

 


台湾軍司令部
警備総司令部の場所とは、旧日本軍の台湾軍司令部である。
台湾警備総司令部
80年代の台湾警備総司令部。
台湾軍司令部は台湾総督府営繕課の森山松之助が設計し、 1920年に竣工した敷地面積七千二百坪、地上二階、地下一階の赤レンガ洋風建築である。当時には参謀、武器、経理、軍医、獣医、法務などの部署が含まれていた。戦後に国民党政権の警備総司令部として使用され、警備総司令部が1992年に撤去去れた後、一時的に海岸防衛司令部(のちに海岸巡防署に改編)となり、現在は国防部本部官庁である。すでに古跡に指定されているこの建物は、90年の時を経て依然として台湾の軍事中心とされている。

       1945年に中国重慶に居る蒋介石が連合軍マッカーサー総司令官の一般命令第一号を受け、台湾の代行管理および島内における日本軍の武装解除を要請したため、国民政府が9月1日に独自に「台湾行政長官公署」と「台湾省警備総司令部(略して警備総部または警総)」の設立を公布した。 「台湾行政長官公署」は1947年の二二八事件後まもなく廃止されたが、「台湾警備総司令部」は1949年に国民政府が台湾へ亡命し、「軍事戒厳令」の実施と共にさらに任務が強化され、 1991年に撤去されるまで実に46年間も存在していた。

       台湾の軍事戒厳令時代における国防部組織法第四条に「陸軍、海軍、 空軍、連合後勤(兵站)、 警備などの総司令部および憲兵司令部、 軍管区司令部は国防部の下に置くこと。」と定められている。したがって、「警備総司令部」も陸海空軍と同じように参謀総長の指揮・監督を受け、 任務を「台湾の警備、治安、戒厳、民間防衛、首都衛戍、密輸検挙」などに規定された。軍事戒厳令時代における国民党政権の安定と確保を果たしていた。

       警備総司令部は「警備、保安、動員」の3つの任務に定められ、1983年以前には4個の「警備総隊」の兵力を有していたが、これらの部隊は山地、海岸、橋梁、道路鉄道トンネルの監視管理に専任されたため、1958年から他の勤務は司法警察の資格をもつ憲兵隊と協議し、支援兵力を要請していた。

       3つの任務なかに前二者は憲兵隊が支援していたものとされている。それぞれの内容は下の通りである。

 

 

 

(一) 警備: (二) 保安:


(一) 警備:テロやクーデター対策、首都防衛、海岸警備。

1.テロやクーデター対策

憲兵特種勤務中隊
警備総部の検閲を受ける憲兵特種勤務中隊
警備総司令部の任務とは、憲兵隊本来の市街戦任務を生かして、有事の際に警備総司令部が命令を下って出動するものである。

台湾において、総統府と行政院(内閣相当)の官舎警備には、憲兵隊が警備総司令部の指示のもとで担当することを当たり前と思われている。また反乱防止と政権安定のために、公営のテレビ局やラジオ局周辺も憲兵隊による重点パトロールが実施されている。

1970年代に台湾は中国との国同士の正規軍対峙以外に、国連の脱却や世界中に多発テロの影響を受け、 憲兵隊も都会のゲリラ戦に対応できるような警備方針を変えた。 その後「中壢事件」が勃発し、 参謀本部が軍事会議中に本来中国反攻の主力部隊をすべて憲兵部隊に改編し、デモ弾圧兵力として運用することに合意した。

80年代に入ると、台湾独立や民主化運動が激化してきたため、憲兵隊は警備総司令部の指示下で対策訓練を強化した。1983年に警備総司令部が「警虹」と「平遠」、 1987年に「平安」と「鎮遠」特別企画案を展開し、参謀本部の事前認可なしで直接に憲兵部隊を出動させることができ、 これらの反政府運動を迅速にせん滅することを図っている。

◆SWATの設立:
1972年にパレスチナ解放人民戦線や日本赤軍による一連のハイジャック事件や空港内での無差別乱射事件の影響を受け、 憲兵隊の第二〇一、二〇二指揮部がそれぞれ2個、その他の指揮部が各ひとつの「憲兵反突撃小隊(憲兵テロ対策部隊)」 を設立した。平時は各「地区警備司令部」の要請を負い、特別手配者の逮捕や移送警護に支援するが、有事の際には速やかに指定現場へ出動する。

ミュンヘンオリンピック事件後、 台北周辺の緊急展開部隊として憲兵の特殊部隊である「憲兵特種勤務隊」が設立された。その一部は桃園国際空港に配置され、 出動命令権は警備総司令部が握っていたという。

 

暴動鎮圧訓練
暴動鎮圧訓練

2.首都防衛

首都憲兵隊は基本的に武装警備の体制をとり、党や政権に害するものをすべて排除し、中枢陣の安全を徹底的にまもる。




◆台北衛戍區:
台北の防衛体制は1952年に「台北衛戍司令部」が設置され、独立の作戦区とされ、「衛戍区」と名づけられている。1958年に「台湾省警備総司令部」が改編され、陸軍総司令部が手元の「保安司令部」、「防衛司令部」、「民防司令部」、「台北衛戍総司令部」など4つの戒厳令に関する業務を改編された「台湾警備総司令部」に渡した。そこで台北衛戍区が警備総部の責任となり、警備総部の副司令官が台北衛戍司令官を兼任している。

警備総司令部は毎年に数回の「衛戍区会議」を行い、会議中に憲兵司令部、憲兵第二O二指揮部(台北市憲兵隊)などの台北治安組織が治安状態や異変を報告する義務がなされ、早期にテロやクーデターの発見を図っている。

また「台北衛戍区」外側の防衛手段として、本来は陸軍台北衛戍師団の責任であったが、1982年から憲兵隊が全面的入れ替わって、台北市内への連絡道路、橋梁、 トンレルには必ず中隊や小隊規模の武装憲兵検問所が設置され、警備総司令部の指揮のもとで軍事検問が行われていた。

 

◆爆弾処理班:
1983年4月の台北に2件の新聞社爆弾テロが起きた。当時は陸軍の爆弾処理班が警備総部の要請を受けて派遣されたが、1986年から軍事戒厳令の廃止により、 司法警察の資格をもつ憲兵隊が爆弾処理班を設立し、警備総司令部の指揮を受けるとされていた。なかにひと分隊は桃園国際空港に常駐している。

 

◆連合作戦(民間防衛訓練):
実は民防(
民間防衛)演習を「連合作戦」と名づけられた。こちらの「連合」とは国民党政権における「党」「政府」「軍」の合同訓練を意味する。警備総司令部がその主催者で、空襲、核戦争など大規模の被害を想定し、民間人が党により組織され、軍や警察、消防と共に避難救援活動を行なう訓練であった。このなか憲兵隊には治安維持、疎開誘導、また災害時の暴動鎮圧などの課題が設けられていた。

1978年以降、この訓練は「万安演習」と改名され、各「団管区(連隊区)」がその責任者とされている。

 

3.海岸警備

漁港保安勤務漁港保安勤務
漁港保安勤務
警備総司令部の任務とは、海岸哨戒所を沿岸各地に設置し、海岸線の守備、パトロールすることにより、密輸や密入国の防止を果たすことである。

1987年6月に軍事戒厳令が廃止され、軍が今まで代行する内政業務を内政部警政署(警視庁)に渡されたが、 現状とは警察の「保安警察(警察機動隊)」が不足することにより、司法警察の資格を有する憲兵隊がこれらの業務を協力していた。このため、国防部が「国軍憲兵部隊運用計画」や「国防部憲兵隊の警察支援計画」を制定し、憲兵司令部と警政署も「憲警支援協定」を合意した。 また当時に政府は新たに「動員戡乱(かんらん)時期国家安全法」の法律を作り、その第4条に「憲兵隊は警察機関と見なされ、空港、港湾、漁港、避難港などに兵力を配置し、出入国の人員、貨物、飛行機、船舶に対し保安検査を実施する権限を有する」と定められている。結局「警備総司令部」がまだ憲兵隊の指揮権をもっていたため、警察業務も依然として警備総司令部が1992年に撤去されるまでその指導のもとで行なわれていた。

なお、1989年に元憲兵司令長官の周仲南将軍が警備総司令官に就任し、数多くの憲兵出身者を連れて警備総司令部の重要ポストに配置していた。

◆コンテナによる密輸の防止:
1984年末、憲兵隊が警備総司令部検査管制処を支援し、各コンテナターミナルに兵力を配置していた。最初はひと大隊510名の憲兵が基隆港、台中港、中壢港、高雄港に駐在し、密輸防止のためにコンテナを載せたトレーラトラックを確実にコンテナ検査所まで連行することである。

1986年7月に台湾本島の軍事戒厳令が解除され、コンテナの検査業務は内政部警政署に移転されたが、保安警察隊の不足のため、依然に憲兵隊に依存されている。1987年6月までの一年間に出動人員延べ数が24万3千8百余り、検査コンテナ延べ数が36万6千個にのぼり、密輸銃器52丁と銃弾1万5千2百発を含め、合計千2百件の密輸事件が憲兵隊によって検挙された。

その後の1990年10月から1995年6月までの間に、保安警察が増員され、今度は憲兵と警察が共同でこの勤務をしてきたが、7月以降に憲兵隊が完全にこの業務を警察保安隊に渡した。

 

◆漁港における漁船の保安立ち入り検査:
1987年に軍事戒厳令が廃止した後、本来警備総司令部に属する漁港、避難港の保安検査所をすべて警政署(警視庁)に渡した。しかし保安警察の不足により、憲兵隊1400名がこの業務を支援し、全国97ヶ所の漁港保安の主力部隊とされ、14個の地区警備分区指揮部の指導を受けていた。

さらに1989年11月に保安警察が選挙勤務の予備兵力として派遣されたため、約2000人の憲兵隊が184ヶ所の漁港にこの勤務に就いていた。なお、この業務も警備総司令部の指導を受け、1995年6月まで行なわれてきた。

 




         警備総部特種調査室          警備総部特別行動隊

(二)保安:情報収集、スパイ検挙、治安維持

1.情報収集

警備総司令部の任務とは、国家安全と政権確保のため、各憲兵隊が収集した情報を分析・統合し、事前に不慮事件を防犯することである。


◆地方治安統合会議:
警備分区指揮部(連隊管区司令官)がこの会議の主催者であり、地方司法警察長官、警察局長(県警本部長)、地裁主任検察官、県長(県知事)を招き、 公安や金融などの情報を統合することにより、地方の現状把握や監視が一層高まることができる。


特別行動隊
特別行動隊

2.スパイ検挙

警備総司令部の任務とは、全国の憲兵調査組を指導し、 潜在する敵やスパイの検挙、内部における反乱者の摘発を行なうことにより、国家安全および政権安定を確保することである。




◆特別行動隊:
1980年から、警備総司令部保安処の「特別行動隊」に全員憲兵の編成が導入されるようになった。この「特別行動隊」の勤務とは、台北エリアの情報収集や捜査、特別手配者の逮捕、移送警護などが挙げられる。


 

憲兵警察連合検問
憲兵警察連合検問

3.治安維持

警備総司令部の任務とは、各治安関係者と連携をとり、暴力団や銃刀の不法所持の取り締まり、またはデモ計画者の事前逮捕、選挙活動の立ち入り検査など治安(政権安定)に害するものを事前に防犯することである。



◆地域の治安確保:
台湾の「憲兵勤務令(憲兵条例)」、「刑事訴訟法」によると、憲兵は司法警察の資格を有し、民間人を取り締まることが認められる。また軍事戒厳令によると、台湾警備総司令部は全国最高の警察機関と、その下に各地の地区警備司令部が該当地区の最高警察機関と位置付けられ、責任区域の警察関係者(警察署、憲兵隊、捜査局)を管理することができる。したがって、憲兵隊が「懲治反乱条例」や「戒厳法第八条」に犯す事件と認定した場合、直ちに捜査逮捕し、直接に軍事裁判へ移送することが認められる。もしも重大事件の場合には、容疑者を台北の本部保安処へ送り、さらに厳しい訊問をかけるとされている。

また、警備総司令部が不定期に「特別企画案(一清専案、迅雷専案など)」をつくり、憲兵隊や警察に指示し、各地域の素行不良者を直接逮捕することが行なわれていた。この「逮捕者リスト」は各地の憲兵隊や警察が各自で作成するもので、司法検察関係者には関与できない。なお、毎回の逮捕者人数は警備総司令部が決まるとされている。

毎年の旧暦お正月期間中に、警備総司令部が恒例の「春安演習」を行い、各県市の警備分区指揮部が演習の初日に警察と憲兵隊の合同観閲式を挙げ、そして今回の取り締まりポイントを開示した。この期間中の業績は平時の人事評価より高く設定され、検挙率の上がりを図り、演習の成果と見なされる。1992年から「春安演習」は内政部警政署(警視庁)が引き続き行なうとされている。

軍事戒厳令には、人民の集会が禁止されているため、憲兵隊はこれらの情報を事前に把握し、必要があれば主催者を逮捕することができる。

 

◆デモ弾圧:
1976年の県市長選挙中に「中壢事件」が勃発し、 台湾史上に「二二八事件」後に初めての大規模デモ事件と見なされている。 当時に政党の結成は軍事戒厳令に固く禁じされてもかかわらず非国民党立候補者の政見発表会に数万人規模が集まっていた。 与党当局が中国反攻スローガンの破綻と政権確保の危機に迫られるため、中国反攻の主力突撃部隊をすべて憲兵部隊に改編し、 保安機動隊として運用するようにした。

警備総司令部は「平遠企画案」を通って直接に憲兵部隊を指揮し、違法な民衆集会があれば中央から速やかに憲兵部隊を派遣することができるようにした。1979年12月に高雄「美麗島事件」が起き、警備総司令部は7個の憲兵大隊を出動し鎮圧した。

1987年に軍事戒厳令が廃止され、今まで参謀本部作戦室がデモ弾圧の兵旗演習を行なうことも軍の民事内政の関与と見なされ、できなくなっているために、 警備総司令部が新しい「国家安全法」に基づき、この業務をすべて代行するようにした。


 

1991年4月30日に、李登輝大統領が翌日の5月1日午前零時に「動員戡乱時期」の終結を公布し、台湾警備総司令部も翌年(1992年)の8月1日午前零時に撤去し、45年11ヶ月の時を経て幕を閉した。

背景音楽:警備之歌(忠愛進行曲)

 
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