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部隊編成史

文:台湾憲兵OB会

1954年から憲兵隊の再編時の部隊番号には、他の兵科から中途編入したものを除き、必ず「2」がついている。その「2」という数字とは国民政府軍の 1937年南京防衛戦において、中国雲南省出身者によって構成された「憲兵第二教導連隊」が蒋介石の命令を受け、南京中華門でほぼ全員戦死し、徹底的に任務を果したため、その忠誠心を記念したことによる。 

その後台湾軍が再建された時、憲兵部隊も蒋介石のもっとも信頼できる部隊とされてきたため、二○○番台の部隊は純血な憲兵系統の部隊を示すものとされる。

台湾における憲兵部隊は、伝統の憲兵第211~216大隊を始め、新設憲兵部隊の番号は217、次に既存の221、222番をとばし、223番から付けられたと徐々に拡大され、1987 年7 月15日に 38年間行われてきた軍事戒厳令(但し台湾本島のみ、金門や馬祖はそのまま)が解除された時点で、憲兵部隊はすでに第242大隊まで増設されてきた。一方、陸軍から編入されたものは311番に、空軍から編入されたものは350番に部隊番号が付けられるようになっている。

その後の公安体制も民主国家のように徐々に警察機関へ手渡されたため、憲兵部隊も続々と縮小してきている。


◆憲兵第211大隊~第216大隊(中枢官舎警備隊):

もともとは陸海空軍の各司令部警備大隊であるが、1954年に憲兵司令部の再編を機に憲兵部隊に編入した。 それぞれ独立憲兵 第1~第6大隊の新しい部隊番号が与えられ、1970年九月一日に台湾軍の連隊編制の撤去と共に、 憲兵第211~第216大隊に改編された。

【1】憲兵第211大隊: もとは南京総統府警備総隊であって、台湾まで撤退してから縮小され総統府警備隊となった。その下に5大隊を有し、 1大隊は台北総統府と総統官邸の安全警備に配置され、残りの4大隊は花蓮の北埔基地に駐屯し大陸反攻のため日々猛訓練され、 当時総統府警備隊の新入兵士は必ず6ヶ 月間ここで厳しい新兵訓練を受けるようになった。1954年から総統府警備隊と国防部警備中隊が合併し、憲兵独立第1大隊の番号が与えられた。 そして1956年に憲兵第211大隊と改称し、現在まで至る。政府中枢部を守る伝統から 「鉄衛営(鉄の砦のような部隊)」といわれるようになってきた。     総統府憲兵第211大隊

【2】憲兵第212大隊: もとは南京陸軍総司令部警備大隊であったが、 1954 年憲兵司令部の再編により、憲兵独立第二大隊と改編し、 1956 年憲兵212大隊と改称した。 憲兵部隊に改編されながらも伝統的に陸軍総司令部の竜潭駐屯地を警備してきたが、 1992年「忠愛専案」(忠愛特別条例)により海岸巡防部に配備され、 1996年八月に憲兵の部隊番号が撤去された。

【3】憲兵第213大隊: 本来は総統府警衛総隊であったが、1955年に憲兵第213大隊と改称された。1970年に「憲兵第二〇一特別警衛指揮部」が編成され、 憲兵第213大隊はその指揮下に置かれ、元首の官邸から総統府の通勤道路の安全警備がその任務であった。

【4】憲兵第214大隊: もとは海軍警衛大隊、中国浙江省の舟山群島から台湾まで撤退された後、海軍警衛連隊に改編された。 1955年にこの連隊中の二中隊が抽出され、憲兵独立第5大隊に編成された。1956年から1個の憲兵中隊が追加され、憲兵第214大隊となり、 左営海軍基地に駐屯されていた。その後、海軍総司令部が台北大直に移転されるとともに、ひと中隊がその警備勤務にあたって台北まで転入された。 1992年から全大隊が海岸巡防部に配備されている。

【5】憲兵第215大隊: 元南京空軍総司令部警備旅団であったが、1952年から憲兵独立第7大隊と、1956年憲兵第215大隊と改編されたが、もとの勤務のまま全国に散在する空軍基地を警備していた。 1986年から全大隊が集結され、その後「忠愛専案」により海岸巡防部に配備された。1996年八月に憲兵の部隊番号が撤去された。

【6】憲兵第216大隊: 1956年に憲兵第1連隊の第2大隊(もとは第7軍団の野戦憲兵隊)と独立憲兵第3中隊(もとは独立憲兵第10大隊の第3中隊)を合併し、憲兵第216大隊になり、 蒋介石大統領官邸警護隊のひとつとされた。1970年に官邸警護隊の再編時に新たに憲兵第225大隊の部隊番号が付与された。その後、海岸巡防部に移籍された。




◆憲兵第225~229大隊(特別警衛勤務大隊): 本来は蒋介石大統領官邸警護隊の「士林要塞特別警衛憲兵大隊(憲兵第216~218大隊)」であり、1970年に官邸警護司令部の 「憲兵第二〇一特別警衛指揮部」が成立され、新たな部隊番号(憲兵第225~228大隊)が付与された。1973年に国防部憲兵警衛大隊が憲兵第229 大隊に改編され、「憲兵第二〇一特別警衛指揮部」の下に置くこととなった。

官邸警護司令部の警備区域としては、大統領官邸を中心に周辺の士林区や福山と陽明山などの山地まで広がる。また、官邸から総統府の大統領 通勤道路における警備人員の配置もその責任である。この「憲兵第二〇一指揮部」の訓練と管理は憲兵司令部に属されるが、勤務上には「連合警衛安全指揮部 (
元首警護参照)」の命令に従うとされている。

なかに憲兵第225、228大隊は2005年に憲兵装甲大隊憲兵砲兵大隊に改編された。
「憲兵第二O一特別警衛指揮部(総統官邸及び総統府までの通勤道路安全警備)」その経緯
憲兵第217、218大隊:1968年に憲兵第216大隊から株分けして編成された部隊であり、 同時に「福山警衛区指揮部」が設立された。まもなく第217大隊は第216大隊と交代し官邸側近警護の任務をし始めた。 1970年に「福山警衛区指揮部」が憲兵指揮部に改名された。
憲兵第225~228大隊:1969年に憲兵第216~218の3つの大隊から4つの大隊に拡大され、 部隊番号も新たに第225~228大隊に変更された。この時点で憲兵第216~218大隊の部隊番号が消失となった。
憲兵第229大隊:1971年に国防部警備大隊から憲兵部隊に編入された部隊である。 蒋介石自ら総統官邸の憲兵隊を検閲する。


◆憲兵第221~222大隊(軍憲兵大隊)、憲兵第231~238、242大隊(軍団憲兵大隊): 221、第222大隊共にもともとは国民党政権が中国大陸にあった時期の憲兵連隊に所属する憲兵大隊であったが、 1954 年連隊編制の廃止により憲兵大隊の番号が付けられ、最初の野戦憲兵大隊となった。当時には陸軍の軍(army)と軍団(corps)に野戦憲兵隊が導入され、陸軍第1、2軍と第1、2、3、8、9、 10軍団に憲兵大隊が配属されるようになった。1976年8月に陸軍の再編が行われ、第6、8軍、第21、32、69、20、43、58軍団の配属憲兵大隊その部隊番号は憲兵第221、222、231~238大隊であった。そして1979年に第8軍が設立され、その配属憲兵隊の部隊番号が、すでに存在する憲兵第239~241大隊を飛ばして、憲兵第242大隊となった。

◆憲兵第230大隊(警備総司令部大隊): もとは台北衛戌司令部の憲兵第7聯隊第5大隊であったが、1958年5月に衛戌司令部が台湾警備総司令部に合併され、この大隊も警備総司令部の北部地域施設の警備勤務担当となった。1972年6月から憲兵司令部の指揮下に置き、憲兵警備第230大隊の部隊番号が交付された。 1992年から海岸巡防部に移籍され、1996年に憲兵部隊番号が撤去された。

◆憲兵第239~241大隊(地区保安警備大隊): 1977年の 「中壢事件」 直後、元「警備総司令部」の中部、南部それぞれ所属する「地区保安警備大隊」、そして宜蘭、雲林、台南などの「保安警備中隊」(ともに秘密警察の工作部隊)を再編成し、憲兵第239、第240、第241大隊となって、地方憲兵警備大隊として勤務していた。


美麗島事件

◆憲兵第311~第326大隊(陸軍特殊工作部隊):

1979 年六月から「靖安二号専案」(靖安二号特別条例)により、元陸軍特殊工作部隊の第31、 第42、第13および第24総隊合計16 個の陸軍大隊は次第に憲兵大隊として再編された。

なかでも第24総隊の主な駐屯地は北台湾に散在し、首都の外環防衛にも兼ねている。そのため、現在憲兵隊の北台湾におけるいくつかの基地 (莒園、武崗、小格頭、後慈湖など)訓練はまだ当時の特殊工作の影が残っている。

特殊工作部隊から憲兵部隊に再編されまもなく、それぞれ憲兵第323、第324および第325大隊として高雄で起きた「美麗島事件(又は高雄事件という)」 の鎮圧任務が任された。特に憲兵第323大隊は先頭部隊として、台湾民主化運動の歴史のなかによく挙げられる部隊である。



53空挺旅団から憲兵第206指揮部に改編する式典


◆憲兵第327~第332大隊(陸軍空挺旅団 ):

1971年「靖安三号専案」(靖安三号特別条例)により、陸軍第53空挺旅団から再編成されたものである。中には憲兵328大隊が憲兵部隊に再編される前に、 緑島(政治犯と軍人刑務所の所在地、日本の網走刑務所に相当)に駐屯していたため、1970年の「泰源事件」において作戦任務を果たした部隊も含まれる。 その後憲兵部隊に再編されたが、「忠愛専案」(忠愛特別条例)により海岸巡防署に配置された。



◆憲兵第350~第359大隊(空軍警備大隊):

2006年1月から、「和平専案(和平特別条例)」により、もとの編成、もとの駐屯地、もとの勤務に基づく、 空軍基地や防空要塞などの10個の空軍警備大隊を憲兵大隊に改編したものである。

空軍花蓮基地の憲兵警備隊設立式典

空軍台南基地の憲兵警備隊設立式典




歴代の憲兵軍旗

1961年以前
陸軍軍旗のまま
1961年2月から
憲兵兵科章マーク
1964~1986年
兵科章模様の修正
1987年から現用の軍旗
荷の花マーク



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